走り出してしばらくすると、オメガが言う。
「でも、クマちゃん残念だな。あの子がどこに住んでるかわからないもんな。」
すると、クマちゃんが言う。
「いや、車が所沢ナンバーだった。」
オメガはクマちゃんの抜け目のなさに脱帽した。
さて、今日の最初の道は、ゆるい下り坂だった。オメガは坂に合わせてゆっくり行こうと思ったが、なにしろ急な下り坂ではないためスピードが出ない。もたもたしているうちに他の二人に離されてしまった。
「ま、いいか。」
四日間、常に後方の守りをしていたオメガにとっては、二人の姿が見えない事も不安ではなくなっていた。
道は川に沿って続いていく。そのため曲がりくねった所が多く、せっかく出たスピードもそこで落とされてしまうのだった。
昨日の夕方に秩父市内へ着く予定だったのだから、秩父市はそう遠くはないはずなのに、なかなかこの峠を抜けられない。オメガは少しイライラしてきた。
と、前方で道が二つに分かれているのを見た。一方は橋が架かっていて、左の方へ続いている。右の道は遠くの方で狭くなっている。
「ムムッ、どちらが本当の道なのだ!?。」
オメガは迷った。エイジとクマちゃんの姿は見えない。
結局、オメガは右の道に運命をかけた。
道はしだいに狭くなっていき、林の中に入る。そして、しばらく行くと、民家の立ち並んだ場所に出た。
見ると、エイジたちがその中の一軒の店の前で自転車を止めている。
「何か飲もうよ。」
自転車を降りたオメガに、クマちゃんが言った。
もちろんオメガは賛成した。
店の中に入ると大きな冷蔵庫が二つあり、一方にアイス類、もう一方にドリンク類が入っていた。すぐに店のおばさんが出てきて言う。
「いろんなのがあっから、良かったらどうぞ。」
三人はいろいろ探し始めた。確かに様々な種類のアイスやドリンクがあったが、見たことのない物が多く、一瞬買うのをためらう。その中からオメガは『飲むゼリー』と書いてあるビンを見つけた。
「これは試してみる価値がある。」
そう思ったオメガは早速これを買った。クマちゃんやエイジも結局同じ物を買った。
「なかなかじゃん。」
「変な感じだな。」
そんな事を言いながら、三人はゼリーを飲みほす。
だが、アイス好きのクマちゃんは、それだけでは満足しなかった。
「オメガ、アイス買おうよー。」
オメガは別に食べたいとは思わなかったが、あんまりクマちゃんが言うので、結局つられて買った。二人が買ったのは『氷イチゴ』というやつで、当たり付きだった。二人がアイスを食べているのを見て、ついにエイジもアイスを買いに行く。エイジは、「人と同じ物は食わん」という主義なのか、二人に対抗してオレンジのアイスを買ってきた。
「今度はこれのグレープフルーツを買おう。」
そう言いながらエイジはアイスを食う。と、その時だった。
「おーっ当たったー。」
なんとクマちゃんがアイスをもう一本当てたのだ。二日目の500円といい、なんと運のいい男なのだろう。クマちゃんがもう一本食べるのを横目で見ながら、エイジとオメガは寂しく座っていたのだった。
休憩を終えると、三人は再び走り出す。オメガは最初、自分の意志でゆっくり走っているのだと思っていたが、実はそれは間違いで、ただ単に四日間の疲れがきているのだとわかった。
が、わかったところで、どうにもならない。いつものようにオメガはどんどん離されていった。道は徐々に広がり、車の数も増えていく。やっと峠は越したようだが、平らな道になったため、オメガは今まで通り、坂に身を任すわけにはいかなくなった。
「オリャーッ。」
必死に自転車をこいで、なんとか前の二人に追いつこうとするオメガ。だが、その疲れは予想以上に激しかった。平らな道でさえ、今のオメガには苦痛だった。まして登り坂になると、悲しみが込み上げてくる。
ふと前方を見ると、荷物を積んだ自転車が五台ほど、一列になってこちらに近づいてきた。見たところオメガと同じくツーリングに来た連中らしい。
だが、彼らは急な坂道をものともせずに登っていく。そのうちの一人が、チラっとこちらを見た気がした。ゆっくり走っていたオメガは思った。
「フッ、笑うなら笑え!しょせん、このオレはみじめな敗北者さ。」
自転車の一隊は次々に姿を消していく。が、その時オメガは、彼らの50メートル後方に、遅れて走っていく一人の男の姿を見た。彼は必死に自転車をこいでいたが、疲れているらしく、なかなか進まない。オメガは彼に共感を覚えずにはいられなかった。
「オレと同じだ・・・・・。」
だがオメガと違っていたのは、あきらめずに必死に自転車をこいでいる事だった。
「君に何か教えられたような気がする。」
そうつぶやくと、オメガは突然全力を出して自転車をこぎ始めた。彼の姿に心を打たれたのだろうか。その勢いは、あの甲府パワーに勝るとも劣らず、前方のバスを追い抜くなどの快挙を成し遂げた。
その後も長い道がずっと続いたが、くじけながら、また力をふりしぼりながらオメガは走り続け、ついにエイジたちと会うことができたのである。
「そろそろ昼メシを食おうよ。」
三人はしばらく探しまわった結果、セブンイレブンで食料を買う事にした。都合よく外にベンチがあり、三人はここで食べていく事にする。
店の中に入ると、またもや美人なお姉さんがレジの所にいたが、
「おっと、いけねぇ!甲府、甲府・・・・・・・。」
と心に言い聞かせて、オメガは無愛想に外に出た。
三人はベンチで昼食を食べながら、これからの道の事を話し合った。
「これから最後の峠を越える。これを越えればもうすぐだから・・・・。」
クマちゃんが言う。オメガは覚悟していたが、ちょっと気になって聞く。
「一日目の大垂水峠と、どっちが長い?。」
「うーん、同じくらいかー・・・・ちょっと短いくらい。」
それを聞いて、オメガは少し元気が出た。
三人がしばらくベンチでパンを食っていると、信号で止まっていた車の中で、ある女の子がこっちを見て笑っているのを見つけた。オメガは、
「パン食っちゃ悪いか、このヤロー。どこの人間だ!。」
と思ってその車のナンバーを見たところ、『所沢・・・』と書いてあった。
「いちいち笑うな!この所沢ナンバー!。」
オメガはそう言って、ハッと気付いた。隣にクマちゃんが座っていた事を・・・・・・・・。だが、時既に遅し。クマちゃんは、
「ハハッ。」
と少し笑ったかと思うと、しばらくオメガの方を向いてくれなかった。オメガはアセリまくった。クマちゃんの理想の恋人と仮にも同じ場所に住む人間を、侮辱してしまったとは・・・・・。
結局、後で話しかけてくれたので安心したが、一時はどうなるかと思った。
昼食を終えた三人は、気を引きしめて自転車に乗る。
「じゃ、行きますか。」
クマちゃんの合図で、三人は最後の峠へと向かった・・・・・。
「ハーッ、ハーッ。」
オメガは歩いていた。あれから峠へ入り、十分程経った頃だろうか。道が徐々に登りになるに連れて、オメガの足はどんどん動かなくなっていった。もう甲府パワーを使う気力もない。エイジとクマちゃんの姿も見えず、気配さえ感じない。
「みじめだ・・・・・。」
自転車を押しながらオメガは思った。こんな事なら旅行前にもっと鍛えていればよかった、と。オメガは自分の筋力のなさを痛感した。
それから二十分後、ある小さな店の前で、エイジとクマちゃんが止まっているのを見つけた。二人は言う。
「オメガ、かき氷食べたいって言ってたじゃん?この店ならあるかもしれないよ。」
「オメガ、元気出せ。」
オメガは二人の親切に感動し、改めて友情を感じた。そして、かき氷を食べれるという新たな希望を見出した。
だが・・・・・・・なんと言うことだ!・・・・・・・かき氷はなかったのだ!店の中を隅々まで見回したけれど、『氷』の文字さえ見当たらない。
「仕方ない。じゃ、行きますか。」
無情にも、休む暇も与えない出発の合図。オメガの精神は死んだ。
さて、店からはエイジたちも気を使って歩いてくれたが、オメガはそれでも遅れていた。
しばらくすると、エイジたちはもう待てん、と思ったのか、突然自転車に乗って走り出した。
「さらばだ・・・・・・友よ・・・・・・。」
そう思ってオメガが二人を見ていると、急に二人の姿が消えた。
「ま・・・・まさか!。」
オメガは最後の力をふりしぼって自転車に乗る。
「おお!これは!。」
そう、念願の下り坂だった。それも今まで登ってきた分、かなり急で長そうな坂である。
「ヘッヘッヘッ、これを待ってたぜ!。」
オメガは急に別人のように走り出した。
「ウオオォーーッ。」
すさまじい速さで坂を下っていく。そのあまりのスピードに、オメガの皮膚が風圧で切れそうになる(ウソつけ)。坂の角度はかなり急だったが、一方カーブも多く、オメガのテクニックをもってしても、曲がるのはかなり困難だった。だが、それでもオメガはスピードをゆるめない。
「ワッハッハッハッ。」
ここまでくると、もはや狂気だった。一分もしないうちにエイジに追いつく。
「おせぇなーー。」
オメガは少しスピードを落としながら、エイジの後ろを走る。
と、前方に一台のバスが現れた。田舎のバスだからだろうか、スピードが非常にのろく、二人はイライラし始める。道が狭くバスが大きいため、追い抜くのは至難の技だった。
と、エイジがスキを見て、一瞬にしてバスを抜かす。
「よーし、オレも!。」
オメガも負けじとバスを抜かそうとする。が、あともう一歩のところでカーブに入ってしまい、チャンスを逃してしまった。道はさらに狭くなる。結局、バスが広い道に出るまで、オメガは抜かす事ができなかった・・・・・・・。
さて、なんとかバスを抜かし広い道に出ると、道はゆるやかな下り坂となって続いていく。体力が残っていれば、こんな道はわけなかった。しかし、今のオメガにとっては、これは下り坂とは言えなかった。
「オレはこんなの下り坂とは認めねぇ!。」
そう言って、オメガは怒りながら走る。
それから、ずーっと走り続け、一時間ほどしてクマちゃんたちと合流した。エイジとクマちゃんは、例のように店の前で待っていた。クマちゃんが言う。
「オメガ、もうかき氷無さそうだから、妥協してここでアイスでも食べましょう。」
「うん、いいよ。」
オメガは自転車を降りると、二人に続いて店の中に入っていった。
エイジとクマちゃんはちゃんとかき氷のアイスを買ったのに、オメガは裏切ってラムネを買った。
「やっぱり、あの時のラムネには及ばないな。」
ラムネを飲んでオメガが言う。
「あの時のは独特の味がしたもんね。」
三人はたった五日間の旅が、急に懐かしくなった。
「これからどう行くの?。」
「えーと、まず飯能に出て、それから立川、府中と進んで・・・・・とにかく、あと少しだから。」
「ああ、でも体力がもつかどうか・・・・。」
「大丈夫だよ、家に近くなるにつれて体力は復活するもんだよ。」
「ふーん。」
オメガは一応納得したが、心の中では「絶対にそんな事はない」と思っていた・・・・・・・。