第十五章 敗北者 

 

走り出してしばらくすると、オメガが言う。

「でも、クマちゃん残念だな。あの子がどこに住んでるかわからないもんな。」

すると、クマちゃんが言う。

「いや、車が所沢ナンバーだった。」

オメガはクマちゃんの抜け目のなさに脱帽した。

さて、今日の最初の道は、ゆるい下り坂だった。オメガは坂に合わせてゆっくり行こうと思ったが、なにしろ急な下り坂ではないためスピードが出ない。もたもたしているうちに他の二人に離されてしまった。

「ま、いいか。」

四日間、常に後方の守りをしていたオメガにとっては、二人の姿が見えない事も不安ではなくなっていた。

道は川に沿って続いていく。そのため曲がりくねった所が多く、せっかく出たスピードもそこで落とされてしまうのだった。

昨日の夕方に秩父市内へ着く予定だったのだから、秩父市はそう遠くはないはずなのに、なかなかこの峠を抜けられない。オメガは少しイライラしてきた。

と、前方で道が二つに分かれているのを見た。一方は橋が架かっていて、左の方へ続いている。右の道は遠くの方で狭くなっている。

「ムムッ、どちらが本当の道なのだ!?。」

オメガは迷った。エイジとクマちゃんの姿は見えない。

結局、オメガは右の道に運命をかけた。

道はしだいに狭くなっていき、林の中に入る。そして、しばらく行くと、民家の立ち並んだ場所に出た。

見ると、エイジたちがその中の一軒の店の前で自転車を止めている。

「何か飲もうよ。」

自転車を降りたオメガに、クマちゃんが言った。

もちろんオメガは賛成した。

店の中に入ると大きな冷蔵庫が二つあり、一方にアイス類、もう一方にドリンク類が入っていた。すぐに店のおばさんが出てきて言う。

「いろんなのがあっから、良かったらどうぞ。」

三人はいろいろ探し始めた。確かに様々な種類のアイスやドリンクがあったが、見たことのない物が多く、一瞬買うのをためらう。その中からオメガは『飲むゼリー』と書いてあるビンを見つけた。

「これは試してみる価値がある。」

そう思ったオメガは早速これを買った。クマちゃんやエイジも結局同じ物を買った。

「なかなかじゃん。」

「変な感じだな。」

そんな事を言いながら、三人はゼリーを飲みほす。

だが、アイス好きのクマちゃんは、それだけでは満足しなかった。

「オメガ、アイス買おうよー。」

オメガは別に食べたいとは思わなかったが、あんまりクマちゃんが言うので、結局つられて買った。二人が買ったのは『氷イチゴ』というやつで、当たり付きだった。二人がアイスを食べているのを見て、ついにエイジもアイスを買いに行く。エイジは、「人と同じ物は食わん」という主義なのか、二人に対抗してオレンジのアイスを買ってきた。

「今度はこれのグレープフルーツを買おう。」

そう言いながらエイジはアイスを食う。と、その時だった。

「おーっ当たったー。」

なんとクマちゃんがアイスをもう一本当てたのだ。二日目の500円といい、なんと運のいい男なのだろう。クマちゃんがもう一本食べるのを横目で見ながら、エイジとオメガは寂しく座っていたのだった。

 

休憩を終えると、三人は再び走り出す。オメガは最初、自分の意志でゆっくり走っているのだと思っていたが、実はそれは間違いで、ただ単に四日間の疲れがきているのだとわかった。

が、わかったところで、どうにもならない。いつものようにオメガはどんどん離されていった。道は徐々に広がり、車の数も増えていく。やっと峠は越したようだが、平らな道になったため、オメガは今まで通り、坂に身を任すわけにはいかなくなった。

「オリャーッ。」

必死に自転車をこいで、なんとか前の二人に追いつこうとするオメガ。だが、その疲れは予想以上に激しかった。平らな道でさえ、今のオメガには苦痛だった。まして登り坂になると、悲しみが込み上げてくる。

ふと前方を見ると、荷物を積んだ自転車が五台ほど、一列になってこちらに近づいてきた。見たところオメガと同じくツーリングに来た連中らしい。

だが、彼らは急な坂道をものともせずに登っていく。そのうちの一人が、チラっとこちらを見た気がした。ゆっくり走っていたオメガは思った。

「フッ、笑うなら笑えしょせん、このオレはみじめな敗北者さ。」

自転車の一隊は次々に姿を消していく。が、その時オメガは、彼らの50メートル後方に、遅れて走っていく一人の男の姿を見た。彼は必死に自転車をこいでいたが、疲れているらしく、なかなか進まない。オメガは彼に共感を覚えずにはいられなかった。

「オレと同じだ・・・・・。」

だがオメガと違っていたのは、あきらめずに必死に自転車をこいでいる事だった。

「君に何か教えられたような気がする。」

そうつぶやくと、オメガは突然全力を出して自転車をこぎ始めた。彼の姿に心を打たれたのだろうか。その勢いは、あの甲府パワーに勝るとも劣らず、前方のバスを追い抜くなどの快挙を成し遂げた。

その後も長い道がずっと続いたが、くじけながら、また力をふりしぼりながらオメガは走り続け、ついにエイジたちと会うことができたのである。

 

「そろそろ昼メシを食おうよ。」

三人はしばらく探しまわった結果、セブンイレブンで食料を買う事にした。都合よく外にベンチがあり、三人はここで食べていく事にする。

店の中に入ると、またもや美人なお姉さんがレジの所にいたが、

「おっと、いけねぇ!甲府、甲府・・・・・・・。」

と心に言い聞かせて、オメガは無愛想に外に出た。

三人はベンチで昼食を食べながら、これからの道の事を話し合った。

「これから最後の峠を越える。これを越えればもうすぐだから・・・・。」

クマちゃんが言う。オメガは覚悟していたが、ちょっと気になって聞く。

「一日目の大垂水峠と、どっちが長い?。」

「うーん、同じくらいかー・・・・ちょっと短いくらい。」

それを聞いて、オメガは少し元気が出た。

三人がしばらくベンチでパンを食っていると、信号で止まっていた車の中で、ある女の子がこっちを見て笑っているのを見つけた。オメガは、

「パン食っちゃ悪いか、このヤロー。どこの人間だ。」

と思ってその車のナンバーを見たところ、『所沢・・・』と書いてあった。

「いちいち笑うな!この所沢ナンバー。」

オメガはそう言って、ハッと気付いた。隣にクマちゃんが座っていた事を・・・・・・・・。だが、時既に遅し。クマちゃんは、

「ハハッ。」

と少し笑ったかと思うと、しばらくオメガの方を向いてくれなかった。オメガはアセリまくった。クマちゃんの理想の恋人と仮にも同じ場所に住む人間を、侮辱してしまったとは・・・・・。

結局、後で話しかけてくれたので安心したが、一時はどうなるかと思った。

昼食を終えた三人は、気を引きしめて自転車に乗る。

「じゃ、行きますか。」

クマちゃんの合図で、三人は最後の峠へと向かった・・・・・。

 

「ハーッ、ハーッ。」

オメガは歩いていた。あれから峠へ入り、十分程経った頃だろうか。道が徐々に登りになるに連れて、オメガの足はどんどん動かなくなっていった。もう甲府パワーを使う気力もない。エイジとクマちゃんの姿も見えず、気配さえ感じない。

「みじめだ・・・・・。」

自転車を押しながらオメガは思った。こんな事なら旅行前にもっと鍛えていればよかった、と。オメガは自分の筋力のなさを痛感した。

それから二十分後、ある小さな店の前で、エイジとクマちゃんが止まっているのを見つけた。二人は言う。

「オメガ、かき氷食べたいって言ってたじゃん?この店ならあるかもしれないよ。」

「オメガ、元気出せ。」

オメガは二人の親切に感動し、改めて友情を感じた。そして、かき氷を食べれるという新たな希望を見出した。

だが・・・・・・・なんと言うことだ!・・・・・・・かき氷はなかったのだ!店の中を隅々まで見回したけれど、『氷』の文字さえ見当たらない。

「仕方ない。じゃ、行きますか。」

無情にも、休む暇も与えない出発の合図。オメガの精神は死んだ。

さて、店からはエイジたちも気を使って歩いてくれたが、オメガはそれでも遅れていた。

しばらくすると、エイジたちはもう待てん、と思ったのか、突然自転車に乗って走り出した。

「さらばだ・・・・・・友よ・・・・・・。」

そう思ってオメガが二人を見ていると、急に二人の姿が消えた。

「ま・・・・まさか!。」

オメガは最後の力をふりしぼって自転車に乗る。

「おお!これは!。」

そう、念願の下り坂だった。それも今まで登ってきた分、かなり急で長そうな坂である。

「ヘッヘッヘッ、これを待ってたぜ!。」

オメガは急に別人のように走り出した。

「ウオオォーーッ。」

すさまじい速さで坂を下っていく。そのあまりのスピードに、オメガの皮膚が風圧で切れそうになる(ウソつけ)。坂の角度はかなり急だったが、一方カーブも多く、オメガのテクニックをもってしても、曲がるのはかなり困難だった。だが、それでもオメガはスピードをゆるめない。

「ワッハッハッハッ。」

ここまでくると、もはや狂気だった。一分もしないうちにエイジに追いつく。

「おせぇなーー。」

オメガは少しスピードを落としながら、エイジの後ろを走る。

と、前方に一台のバスが現れた。田舎のバスだからだろうか、スピードが非常にのろく、二人はイライラし始める。道が狭くバスが大きいため、追い抜くのは至難の技だった。

と、エイジがスキを見て、一瞬にしてバスを抜かす。

「よーし、オレも。」

オメガも負けじとバスを抜かそうとする。が、あともう一歩のところでカーブに入ってしまい、チャンスを逃してしまった。道はさらに狭くなる。結局、バスが広い道に出るまで、オメガは抜かす事ができなかった・・・・・・・。

さて、なんとかバスを抜かし広い道に出ると、道はゆるやかな下り坂となって続いていく。体力が残っていれば、こんな道はわけなかった。しかし、今のオメガにとっては、これは下り坂とは言えなかった。

「オレはこんなの下り坂とは認めねぇ。」

そう言って、オメガは怒りながら走る。

それから、ずーっと走り続け、一時間ほどしてクマちゃんたちと合流した。エイジとクマちゃんは、例のように店の前で待っていた。クマちゃんが言う。

「オメガ、もうかき氷無さそうだから、妥協してここでアイスでも食べましょう。」

「うん、いいよ。」

オメガは自転車を降りると、二人に続いて店の中に入っていった。

エイジとクマちゃんはちゃんとかき氷のアイスを買ったのに、オメガは裏切ってラムネを買った。

「やっぱり、あの時のラムネには及ばないな。」

ラムネを飲んでオメガが言う。

「あの時のは独特の味がしたもんね。」

三人はたった五日間の旅が、急に懐かしくなった。

「これからどう行くの?。」

「えーと、まず飯能に出て、それから立川、府中と進んで・・・・・とにかく、あと少しだから。」

「ああ、でも体力がもつかどうか・・・・。」

「大丈夫だよ、家に近くなるにつれて体力は復活するもんだよ。」

「ふーん。」

オメガは一応納得したが、心の中では「絶対にそんな事はない」と思っていた・・・・・・・。

 

 

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「凱旋」

自転車旅行記

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