第八章 二本のラムネ 

 

澄んだ空気と気持ちのいい青空。快適な朝だった。時刻はまだ六時だったので、公園に訪れる人もない。

寝起きの悪いエイジはまだテントの中でゴロゴロしていたが、オメガとクマちゃんは敵に備えるため、朝の特訓を怠らなかった。

「デャーーッ!」

「ハーーッ!」

オメガのヌンチャクと、クマちゃんのサイクリング・スティック(空気入れ)がぶつかり合う。早起きの老人が一人公園にやって来て二人を見ていたが、恥ずかしいとは思わなかった。(少なくともオメガは)

写真5:サイクリング・スティックVSヌンチャク

香港のカンフー映画を思い出させる一場面。二人の戦いの声が今にも聞こえてきそうだ。写真は、オメガのヌンチャクが、クマちゃんのサイクリングスティックに絡まったところ。ということは・・・・・・

このままではオメガが負けてしまうではないか!!。

さて、そんな事をしていると、エイジがもやっとテントから出てきたので、三人はここで記念写真を撮ることにする。自分の自転車を前にして、一枚ずつ撮ったのだった。

その後、テントの片付けが始まった。このテントをたたむ作業は結構面倒なもので、空気を抜いたりゴミを取ったりと、いろいろなことをしなければならない。そんな時、今日の朝の軽いギャグをエイジがやった。いきなりテントマットを体に巻いて、

「テントマットマン!」

この時、オメガは呼吸が止まったような気がした。

出発の前に、三人は朝食のカロリーメイトを食べた。

「今日はクマちゃんの理想の人を探さなきゃね。」

オメガが言う。するとクマちゃんが答える。

「そうですよー。きっと野辺山で牛乳飲んでる人がいたら、その人だよ。」

さらにオメガが言う。

「そんでハゲの人だろう?。」

昨日からクマちゃんは、やたら「ハゲー」と口走っていたので、オメガに「ハゲが好きなんだろー」と言われていたのだった。

「ちょっと、それは待ってよー。」

クマちゃんが言う。結局、今日自転車で15キロ以上のスピードを出さなければ、ハゲは勘弁してあげるということに決まった。

とにかく、わけのわからないまま三人は公園を出た。行きに登ってきた坂も、今日は下り坂。「楽あれば苦ある」であった。

 

さあ、午前中はとにかく登り坂の嵐だった。朝一にとてつもない坂を登った三人は、その後もゆるい坂を次々と登っていく。

もちろんオメガはビリだった。楽に進もうと思ってギアーを一番軽くすると、チェーンが外れてしまい、まさに、地獄の自転車走行、ヘルズ・サイクリングだった。

三日目ということもあって疲労が早く、三人は一時間もしないうちにジュース・タイムをとる。この時は、三人ともダイドーのグレープを飲んだ。なぜ、こうもダイドーにこだわるのかと言うと、ただ単に当たり付きだったからだ。さらに、この二日間、三人の中で誰一人当たらないので、ムキになってダイドーを選んだのである。この時も三人はハズれた。

「ちょっとオレ、カロリーメイト買ってくるわ。」

エイジは店の中へ入っていった。しばらくして店の中から出てくると、エイジは言う。

「この先、弘法坂っていう超急な坂があるんだって。」

どうやら店の人に聞いたらしい。三人は大きな打撃をくらった。しかし、道は一つしかない。ここまで来たら行くしかない。

三人は再び自転車に乗って走り始めた。ゆるい坂が長々と続く。景色もあまり変わらず、おもしろくもなんともない。

オメガはいつ弘法坂が始まるのか、気になって仕方がなかった。ところが、しばらく行くと、突然下り坂が現れる。

「も、もしかして、オレはもう弘法坂を登り終わっていたのでは・・・・・・・。」

とんでもない勘違いだということが後にわかる。しかしオメガは進む。

「オリャーッ。」

いつものように、ブレーキをかけずに走っていくオメガ。が、急に下り坂が徐々に平らになって行くにつれて、オメガは恐怖を感じ始めた。案の定、下りがあっという間に終わる。

「ま・・・・まさか・・・・。」

そう。目の前に、これこそ本物の弘法坂が現れたのである。この時、珍しくオメガは思った。

「根性で登り切ってみせよう!。」

ただでさえ、エイジとクマちゃんに差をつけられている。ここで歩いていたら、二度と会えないかもしれない。

「甲府パワーだーー!。」

オメガはそう叫んで坂を登り始めた。この甲府パワーとは、甲府のあの女の人を頭に思い浮かべ、根性を引き出す技だった。これはただの自己暗示にすぎないのかもしれないが、効果があった。

ところが、しばらく行くと、なんとエイジが坂の中ほどで、自転車を降りて座り込んでいるではないか。オメガはためらわずに自転車を降りた。

「どうしたの?。」

オメガは聞く。

「腹が痛くなった。」

エイジが答える。

この坂道の片側は山に面していて、上から水が流れていた。その水を手足に注ぎながら、オメガはここでしばらく休もうと決める。

「この水、飲めるかな?。」

しばらくして、オメガがエイジに聞いた。

「ちょっと手ですくってみな。」

エイジがそう言うので、オメガは試しに手で水をすくってみた。

「小さな砂粒がいっぱい浮いてるだろ。」

なるほど、水はきれいだがあちこちに砂粒が混じっている。オメガは飲むのをやめた。

それにしても、クマちゃんはどこへ行ってしまったのだろうか・・・・・。オメガは聞いた。

「クマちゃんは?。」

エイジが言う。

「オレ、『クマちゃーん』って呼んだんだけど、先に行っちゃった。」

この言葉を聞いて、オメガはまたもや邪悪な考えに襲われた。こんな事を言いだしたのだ。

「エイジ、オレちょっと歩いて先に登ってるわ。」

この時もエイジは、

「ああ。」

と言っただけだったので、オメガは自転車を押して坂を登り始めた。

オメガは後ろを向かなかった。もし後ろを向いてエイジがすぐ近くに来ていたら、損をした気持ちになるからだ。

さて、しばらく歩いているうちに、やっと弘法坂が終わった。ふと横を見ると、『ラムネ』の旗のかかった店がある。

「ああ、ラムネ飲みたいな。」

そうオメガが思った時だった。

「おーい、オメガー。」

なんとクマちゃんが、その店のベンチに座っているではないか。

「エイジは?。」

自転車を降りたオメガに、クマちゃんが聞いた。

「ああ、もうすぐ来るよ。腹が痛いんだって。」

 

しばらくしてエイジがやって来た。ちょっと苦しそうな顔をしている。

「エイジ、大丈夫?。」

クマちゃんがそう言った時、オメガはクマちゃんの横にラムネのビンがあるのを見つけた。

「あっ、やられた。」

「ヘヘッ、先に飲んでしまった・・・・。」

オメガは早速ラムネを買った。

「すいません。ラムネ一本。」

「ラムネ一本ね。100円だ。」

そこのおじさんがまたいい人だった。お金を受け取ると言う。

「どっから来たんだ?。」

近くにいたクマちゃんが答える。

「東京です。」

「ほう、東京かー。何日ぐらいかかったー?。」

「今日で三日目です。」

「ほう、帰りはどう行くんだ?。」

「帰りは・・・一応秩父の方をまわって行こうと思って・・・・。」

「何日間の予定だ?。」

「あっ、四泊五日で・・・。」

「ああ、五日なら余裕だなあ、ハッハッハッ。」

なかなか親しみやすいおじさんだ。

今度はエイジが言う。

「あの、トイレ貸してもらえませんか。」

「ああ、そこ入ってくとあるぞ。ちょっと汚ねえけどな、ハッハッハッ。」

エイジはすぐにトイレに入った。

ところで、ここで飲んだラムネはとてもうまかった。都会のものと違って甘みがあり、口に味が残る。これに比べれば、都会のラムネはただの炭酸だった。

一本飲み終わってオメガが言う。

「クマちゃん、なんかもう一本飲みたくならない?。」

「あっ、私もそう思った。」

ビンにごまかされて気付かないが、ラムネというのは案外量が少ない。まして疲れ切ったこの二人にとっては・・・・・・。

「すみません。ラムネもう二本。」

「はいよ。」

結局、誘惑に負けて二人はもう一本買ってしまった。

何度飲んでもやはりうまい!。二人は満足したのだった。

エイジがトイレから戻ってくると、三人は出発の用意を始めた。クマちゃんが聞く。

「ここから清里まで、どのくらいありますか?。」

おじさんは言った。

「うーん、7キロかな。オレは、毎朝車で行ってっからわかんだよ。」

ゲッ、まだ7キロもあるのか、とオメガは思った。しかし、今日は野辺山に着いてテントを張ったら、遊ぶという予定になっているので、もうひとがんばりするしかない。

「どうもありがとうございました。」

三人はおじさんに礼を言って、ラムネ屋を去っていった。

トウモロコシも買ってほしかったな、と思いつつ、おじさんは三人を見送るのであった・・・・・。

 

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